天才の軌跡④ セルヴァンテス
スペイン無敵艦隊がイギリス海軍に大敗北を喫するのは一五八八年、セルヴァンテスは四十才であった。私は、ここに『ドン・キホーテ』が出版と同時にベストセラーとなった理由があると考える。
というのは、先に述べたような中世の悲哀から抜け出し、海外に領土を求め、宣教しようとしていたスペインと、あまり羽振りがよくなく財産の差し押さえを喰らったような父から独立しイタリアにゆき、さらに軍人として戦い、負傷するもそれを誇っていたセルヴァンテスは相似の関係にあり、無敵艦隊を失ったスペインと、奴隷生活を余儀なくされ、帰国するも、数回入獄をくり返したセルヴァンテスも相似の関係にある。言い換えるならば、当時のスペインの人々は、セルヴァンテスと同様の苦悩の内にあり、彼の苦悩から生まれた、『ドン・キホーテ』は、多くのスペイン人の琴線にふれる物語であったのである。
獄中のセルヴァンテスは、五十代後半、彼は人生の中で最も苦しい時期にこの狂人を主人公とした物語を書いたことになる。何が、彼に狂気を想い起こさせたのであろうか。
名誉の戦傷、それに続く奴隷としての屈辱、帰国するも、国王から戦功に対する報賞もなく、生活力のなさのためか、娘イザベルを産んだ女優には逃げられ、小地主の娘と結婚したものの、すぐに別れ、購入係としては失敗つづき、教会からは破門され、罰金をくらい、投獄されたセルヴァンテス。そして娘イザベルの行状はあまりかんばしいものではなかったらしい。
このようなストレスに、寄る年波を考えると、正常な人間の精神に異常をきたしても不思議ではない。彼自身の「狂気と指二本」という表現がこの時の彼の精神状態を適確に表している。彼の『ドン・キホーテ』諸言冒頭の文は、この間の事情をたくみに説明している。
「つれづれな読者諸君、わしが脳みそをしぼって生まれさせたこの本は、美しさもけだかさも賢さも、このうえなしにおもわれたかったこと、誓わないでも信じてもらえよう。しかし、わしとても、大自然の法則には逆らえなかった。天地の間では、物がそれぞれおのれに似たものを産む、ということがあるのだ。
すなわち、荒れはてて開発の足りないわしの才が産みだせるものは、はしばみ色の肌をし、こころが少しも定まらず、やせ干からび、なんびとの頭にもかつて浮んだことのないさまざまな想念に囚われた、ある人間の伝記をほかにしては、何がありえたであろう。不愉快ばかりが席を占め、悲しい物音ばかりが住んでいる獄屋の内で孕まれた子、とでもいうものを別にしては、何がありえたであろう」(岩波文庫、永田寛定訳)
ここでセルヴァンテスは、ドン・キホーテが自分であることを言っているのである。三島由紀夫は、仮面をつけた告白こそ、真の告白に近いと言ったが、セルヴァンテスは、「奇想驚くべき郷士」の仮面をつけることによって、彼自身の内にある狂気を告白し、白日のもとにさらし、それを健全なルネサンス精神によって笑いとばしたのであるといってもよいであろう。
すなわち、狂気の一歩手前まで行った彼は、そこにふみとどまり、『ドン・キホーテ』を書くことによって、自身の精神異常を自己分析したのであるともいえる。