天才の軌跡④ セルヴァンテス
セルヴァンテスは『ドン・キホーテ』以外にも『ガラスの学士』という狂気を題材とした短篇を書いている。私は精神科医であるが、これらの作品の主人公たちの狂気について異和を感ずることはなかった。というのは彼らの病歴、症状とでも言うべきものが、本物の精神病とかけ離れていることが少なかったからである。
経済的にめぐまれたとはいえない教養のある五十才近いやせ気味の独身男性が妄想をもつという『ドン・キホーテ』の書きはじめは精神科の症例としてありうるものである。このような描写の背後には、たとえこれが自己を観察したことによるものであったにしろ、狂人のモデルを観察したものであったにしろ、ルネサンス的な現実を鋭く見つめる目があったことには疑いがない。彼の作品に登場する人物は、この容赦のない目を通して描かれることによってその生命を得るのである。
前に述べたように、セルヴァンテスの父は貧しい医者であった。この事実と、サンチョ・パンサが患者を死なせてしまって、治療費を請求するような医者が多いと言い、『ガラスの学士』が処方箋で人々を死なせて刑罰を恐れることのない薮医者を批判していることを考えると、彼の父に対する気持ちは明らかであろう。
すなわち、セルヴァンテスもまた、父を喪失した西欧文化の典型にあてはまると言うことができるであろう。ルネサンス以後の人間として彼もまた、喪失を悲しまず、逆に父権からの解放を謳歌していたのは、若い頃の冒険心にあふれた行動から明らかである。
しかし、人生の挫折を経験し、それからの回復に必要な若い活力を失った彼には、父に庇護されていない、危険な世の中に在るという子供時代の感情が増幅され、妄想にまでになるという可能性が充分にあったのである。彼はこの危機感に対する数種の解決法を『ドン・キホーテ』の中に書いている。
まず第一は、誇大妄想的解決である。すなわち、自身を現実をはるかに超える存在であると信ずることによって、危険はないと思い込もうとするわけであるが、彼をとり巻く現実も同時に変容し、風車は巨人となり、羊の群は大軍と化し、危機感は消滅しない。
第二は、サンチョ・パンサ的解決法である。すなわち、気が狂っていても、主人(即ち父親像)であるドン・キホーテを信頼し、その庇護のもとに危険をさけようとする、気楽なそして呑気な生き方であるが、これがいかに危険であるかは、サンチョ・パンサの受難連続の苦しみから明らかになっている。
第三は、現実を直視し、それと戦ってゆく方法である。しかし、これはドン・キホーテが正気をとりもどした後すぐ死んでおり、また、『ガラスの学士』も正気をとりもどすが、現実は彼を戦争へとおもむかせ、戦死していることから明らかなように、最も困難なものである。
第四はセルヴァンテス自身の方法である。彼は、現実から目をそらすことなく、充分に観察し、それを呵呵大笑してみせたのである。