どうしても気になるのは、その殺し方である。一応の解説はあるが、屠殺場へ移動する間に彼らも殺されることを自覚しているように思われる。昔、アメリカ滞在中に牛の屠殺場へ行ったことがある。大量の血液が研究に必要だったためである。その時に目撃したステップをここに記載するには耐えられない。もう二度と見たくない。
現在、オートメーションされた工場では、従業員は特に心を痛めることも少なく、仕事と割り切っているのであろう。そのおかげで我々は食肉を食べているのである。
魚は水中生物で、空中に出れば間もなく死ぬが、新鮮な食料にするには、できるだけ早く気絶処理することが必要がある。例えば頭部を叩いたりする。ヨーロッパでは法律で養殖魚を殺す前に気絶させることが義務づけられている。
国連では世界保健機関で「養殖魚の福祉」の規定があり、実施は国によって違うが、日本では動物愛護管理法の基本原則で決められている。新鮮さを保つため、早期に冷水に入れて、運送される。
動物全体を含め、殺すことを「殺生」と言っている。仏教の言葉であるが、本来仏教では生き物を食べない。イスラムでは豚肉を食べない、その他の宗教にも色々なタブーがある。
虐殺
いやな言葉。惨い方法で殺すとか、むやみやたらに殺すとか、主義や主張、結社などの意見の異なるグループを、非戦闘員や一般市民を含めて殺すとか、法的定義、基準は曖昧である。
国際法上では、虐殺の一種であるジェノサイドを「国家、民族、人種的、宗教的集団の全部、または一部を計画的に抹殺、破壊する意図をもって行われる行為」としている。
集団殺害、大量虐殺を意味する。
今のロシアによるウクライナへの無差別攻撃は虐殺といえるのではないか。