「本当は選手のために何だってやってやりたいですけど、限界がある。だからまずは少しでも日本、日本選手にとって不利にならない環境をつくり、日本国内では不自由なく練習できる環境をつくる。ぼくが考えていたのはそれだけでしたね。

北京やロンドンの頃はどうしてもフルーレに強化費が注がれがちで、他種目の選手がその違いを忸怩たる思いで見てきたのもよく知っています。“我慢してくれ、あと少し頑張ってくれ、俺が何とかしてやるから”と。選手に必死でやれ、と言うんですから。

それ以上に僕たちは必死に、真剣にやらなきゃダメだと思っていたし、何とかしてやりたい。そのためなら何だってやろう、と思っていました」

邁進する日々はどこへ続くのか。ゴールはきっと1つではない。だが、何もない場所の土を耕し、種を蒔く。その芽が葉となり花を咲かす。そのための絶好の舞台がやってきた。

2013年9月7日。2020年の東京五輪開催が決定したのだ。

 

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