まえがき
私が医学博士 舟木正朋先生と出逢ったのは今から三十年以上も前のことになります。
初めての講座で先生は「あなたがたに〝ひと味ちがった人生〟を送っていただきたくて、こうして広島よりお話に来ています(先生は広島の方なので)」とおっしゃいました。
そして、「マイナスをプラスに変えるのは魂しかありません」と、きっぱりと言い切られました。
当時のお話はよくおぼえていないのですが、この二つだけは今でも忘れられない言葉です。
その後、講座に出席して帰るとき机の上に薄緑色のパンフレットがさりげなく置かれていたのが目に入ったので、スタッフの方にお願いして頂いて帰りました。そこに書かれていたのが、冒頭の文章です。
「人生の最大の感動とは、本当の自分に出逢ったとき」という言葉にハッとしたのです。
「えっ、本当の自分って何だろう?」と思い、そこからが第二の人生のスタートでした。
それから先生に「自らの魂に祈ることの大切さ」を教えていただきました。
「自らの魂に祈る」なんて考えたこともありません。私にはカルチャーショックでした。これまで神社・仏閣に行って手を合わせて祈るということは度々ありましたが、私には「魂に祈る」ということは考えてもみなかったことだったからです。
「どういうことだろう?」「どういうふうに……?」と考えていたときに浮かんだのが太古の昔、原始時代に夫婦と子供が二、三人いる風景でした。言葉らしい言葉もなく衣服も動物の毛皮などをまとっていた時代の私たちの先祖の姿でした。
狩りに出かける父や夫に、想い(想念)の中で「獲物をとって無事に帰ってきて!」と願っていたのでは。その願いこそが祈りだったのではないかと思ったのです。
そうか、想いというのは祈りなんだ。太古の昔から人間は祈っていたのだ。だから文明が進歩した今も、人間にとって祈りとは原点なのかもしれない……と。
我流の解釈ですが、私にとってはストンと腑に落ちた瞬間でした。
その後、先生のご著書をいろいろ読んでいて、「自分自身を見つめるとは己を極めることであり、本当の自分を追求することだ」という言葉に出逢ったときも大きな衝撃を受けました。
また、先生のご著書の中で「真の自由と自在なる心境が、待っている」という言葉に出逢ったときは、いったいどういうことだろう。真の自由と自在なる心境とは魂の世界のことを言っているのではないか。そこに行くことができるという意味なのではないかと受け取り、そこから魂の世界への探求に没頭していったのでした。
先生は「日常の中のほんのちょっとしたことに何気ない気づきがあり、この気づきはあなたがたの魂からきています。この仕掛けをどのように感覚でとらえていくのかは、あなたがたの求めるこころの深さからやってきます」と言っておられました。
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