「なんだか血の臭いがするね。その分厚い黒いコートはかなりの血を吸ってるんだろうね。それは敵の返り血か、それとも自分の傷口から溢れているのかい?」

声の主は腰の曲がった老婆であった。黒いガウンに身を包み、片手だけを出して杖をついている。しかしその問いかけをまるで無視して、イチコは逆に質問をした。

「お婆さん。この通りの奥に一軒だけ灯りがともってる。あれはホテルかしら?」

「いいや、居酒屋だよ」

「客は多いの?」

「そう見えるかい。ここ最近は客が入るのを見たことがないね。言っとくけど、あれはまともな人間が行くところじゃない。間違っても入ってはだめだよ」

ところがむしろ安心したようだ。イチコはさっさと玉虫通りへ足を踏み入れた。

「お前さん。かなりの手負いだろう。どうしてもあの店へ行くというなら、いいことを教えてやるよ。あそこには魔女汁という品書きにはない酒があるんだ。驚くほど痛みを抑えるし、力もみなぎる。麻薬とかでは決してない。ただし値段はハンパじゃないよ」

老婆はイチコが肩に掛けている黒いショルダーバッグをじろじろ見つめていた。一か所に小さな穴が開いていて、そこから札束の角がわずかにこぼれ出ている。

「客の選別をしているの? 本当は店の人でしょう」

「それは違う。でも玉虫通りのことなら何でも知ってるよ」

「そうなんだ。まあ、どっちだっていいわ」

イチコは微笑みながら老婆のそばへゆっくり戻ると、老婆の杖の下の方を軽く蹴飛ばした。当然ながら老婆はバランスを失い、前につんのめって腹這いとなる。気の毒なことに、大きな鉤鼻が地面にぶつかり鼻血が数滴垂れ落ちた。