随想  素晴らしき出会い

1 高麗山│恩師とともに│

広重の東海道五十三次に描かれている高麗山(こまやま)は、四季折々の風景を醸し出している。特に、国道一号線に架かる花水橋や三年前に完成した高麗大橋より見る高麗山と富士山は絶景で、広重の江戸時代から時を経ても変わりなく美しい。

高麗山の麓には高来(たかく)神社(じんじゃ)があり、天智天皇の時代に渡米し帰化した高句麗の王族・若光の一族が住んだ場所だと言われ、神皇産霊尊(かんむすびのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇が祀られている。

高麗に生まれ育った私は、小学生の頃、高来神社奥の登山道より頂上へ何度か登ったことがある。毎年4月18日の祭りの前日には神輿を担いで参道を登った。頂上でもらったおにぎりの味は殊のほか格別であった。

また、同日に催される植木市は、この界隈では特に賑やかで、子供心に祭りの屋台が楽しく待ち遠しく、放課後一目散に帰り、縁日の遊びに興じた思い出がある。医学部の学生時代、故郷・高麗山を想い「露時雨漏るる山峡(やまかい)ほのぼのと明けくる紅葉に友と酔ひゆく」(昭和53年滋賀歌壇)と詠ったこともあり、私には、高麗山は、思い出多い青春の1ページでもあった。

一昨年(平成15年)、整形外科医局の納涼会の席で名誉教授と歓談している時、以前から広重の描いた高麗山に思いがあり一度登りたいと言われた。さすがに即答はできなかったが、少しでも恩返しできればと思い、後日「秋の天気の良い日を選んで登りましょう」と電話した。

しかし、二人で登るには気が重く、当院スタッフ4名、医局の若い医師1名を加え、計7名で平成15年11月2日に計画した。前日は、診療後、スタッフ20名ほどに対して「変形性膝関節症」の特別講演をしていただき、十分スタッフと和んだ翌日に高来神社に集合となった。

当日は前日の曇天とは打って変わり、秋晴れの絶好のハイキング日和となり一同、足取りも軽く「女坂」より登り始めた。名誉教授の足取りはしっかりしており年齢を感じさせないが、途中2回ほど休憩を取り、皆と歓談しながら標高168mの山頂を目指した。

 

👉『素晴らしき出会い』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】「もしもし、ある夫婦を別れさせて欲しいの」寝取っても寝取っても、奪えないのなら、と電話をかけた先は…

【注目記事】トイレから泣き声が聞こえて…ドアを開けたら、親友が裸で泣いていた。あの三人はもういなかった。服は遠くに投げ捨ててあった