バチンッと大きな音がして身が固まってしまった。どうやら先程の女性が男性を叩いたらしい。罵声の内容からして、男性が浮気をしたのだろう。口論は加速していき、聞くに耐えなくなった私は駆け足で居酒屋へ急いだ。
千春は浮気したことあるのだろうか。いや、杞憂だった。
目的地は想像していたよりも新しい店だった。千春の次に目に入ったのはケラケラと大声で笑う男性。先輩とはあの人のことなのだろう。私は声が聞こえる所から、少し様子を見ようとした。先輩は後ろ姿でも分かる通り体格が良くて、きっと引越しのバイトは天職なのだろう。年齢もかなり上だ。その先輩が千春にタバコとライターを渡した。
「俺タバコ駄目なんすよね」
千春はそう言ってタバコとライターを返そうとする。タバコを嫌ってるのは、お父さんを思い出すから。腕にはタバコを押した痕がいくつかある。それを隠す様に、夏でも長袖を着ることが多いというのは私だけが知っている。バイトだって、長袖でも違和感のない引っ越しスタッフの仕事を選んでいる。
「あれ、カノジョ?」
「あー。そっすね。多分そんな感じです」
千春の煮え切らない態度に違和感を覚えるが、否定して怒られても困るので、放っておくことにした。
先輩は相当酔っ払っているのか、フラフラと近づいてきて私の肩を叩いた。安い酒とニンニクの刺激臭が鼻に媚びり付く。
「カノジョちゃんさ、千春のこと労ってやってね? コイツめっちゃ頑張ってるから」
「はい」
次回更新は8月21日(木)、20時の予定です。
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