最後の言葉として、メモ帳に「幸せなり」と書いて私に残していたことで、私の対応は間違っていなかったとわかりましたが、最後まで私に直接「ありがとう」と言うことはありませんでした。
でも私は「幸せなり」を同じ意味だと解釈しています。親の世代は子供に直接感謝を伝えるということが苦手なのです。
大学を出てから58歳になるまで、35年間両親と関わりながら二人を見送りました。今考えると、両親は終活という概念は持っていませんでした。
毎日をただできるだけ楽しく生きているだけでした。これが本来の人間の生き方だと思います。後はどうにかなると考えていたようです。
そう考えると今の終活ブームは、長生きに伴い時間ができたことにより発生した新しい文化なのかもしれません。私が支えたのは、父親の仕事面と金銭面だけです。
最後は私が父親の下の世話をしないといけないと覚悟だけはしていたのですが、亡くなるまでそれをせずに済みましたので、ありがたいことだと思っています。
今になると、逆に最後まで私に頼らなかった自立した父親に感謝しています。元妻と離婚し、両親が亡くなった後、気がつくと毎日の生活が悪い意味でシンプルになっているのに気がつきました。
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