【前回の記事を読む】"子供に頼らず死ぬまで自由に生きた父"を見て気づいた、今こそ語りたい後期高齢者のリアルと介護における本当に大切な心得
はじめに
母が亡くなって一人になった後は、父親は母親のことを気にせずに遊べるようになり、飲みすぎで腎臓を悪くして透析をするようになってしまいました。
透析は週に3回病院に行かないといけません。その時間も半日ほどかかります。本人は逆に食事制限がなくなったから良いと言っていましたが、その日は疲れるようで遊びには行きませんでした。
大正生まれの父親はどんな状況でも弱音は吐きません。後でわかったことですが、家を整理する中で大量の紙おむつが出てきました。
杖を突きながら、そしてオムツをはきながらでも、夜の街に遊びに出かけていき、女性と遊んでいたようでした。知り合いの父の友人たちからは、私の父親の生き方が理想の生き方だと言われていましたが、当時の私には理解できませんでした。
日本に大型台風が近づいてきている時に、顔を見ないし、家にもいないし、どうしたのだろうと社員に尋ねると、先生は今韓国に行っていますとのこと。
いつも遠方に遊びに行く時は、私に言うと止められると思っているので私には言いません。大人がどこに行こうと構わないのですが、台風で帰れなくなって透析ができないと死んでしまうのは問題です。
そこで宿泊先を調べて連絡し、「台風が今日本に向かってきているので、飛行機が飛ばず、帰れなくなったら透析の日に間に合わないのでは」と伝えると、
「そうか」と一言言い、その後福岡へはもう飛行機が飛ばないとわかったらしく、まだ運航していた大阪経由の飛行機で、大分の自宅へ帰ってきました。