また別のケースでは、札幌の病院から、「今日渕上研一さんが透析をする予定ですが、まだ来ません。どうなっていますか」と問い合わせがありました。
それで今は北海道に行っているのだと初めて知りましたが、「ご迷惑をかけて申し訳ありません。もうすぐ着くと思いますのでよろしくお願いします」とだけ伝えました。
このように死ぬまで人に束縛されるのを嫌がり、自由に生きた父親でした。多くの子供たちは親が高齢になると、心配だからとあれもするな、これもするな、それは健康に悪いので食べるなと親の行動や食事を制限しがちですが、私の経験からみるとそれは逆効果になり、高齢者の幸福感をなくしてしまうので注意が必要です。
少なくとも親は、体力は若い時より多少なりとも落ちているでしょうが、立派な一人の人間ですので、子供扱いせずに接することは当然だと思われます。
その父親も数えで88歳の米寿を祝ったあとに亡くなりました。亡くなる前年の夏頃に横断歩道ではない道路を横断中に、車にぶつかったらしく顔を擦りむいていました。
でも、その日も遊びに出て、ホステスに擦りむいた顔を見せながら、車にぶつかったが平気だと威張って話していたそうです。
しかし、年末に体が痛くなったらしく、正月明けに入院しました。すると数か所骨折していたのです。歳をとると体のセンサーが鈍り、痛みを感じにくくなっていたようでした。
それから3か月ほど入院して亡くなりましたが、87歳になっているにもかかわらず、私の頭に父親もいつか死ぬというイメージがわかないほどしっかりしていました。