戦争が終わってこれからは英語が必要な時代になるのだと頭ではわかっていた。同級生達は熱心に勉強していたし、私も覚えようと努力した。

しかしなぜか頭に入ってこないのだ。あのひどいことをした国の言葉だと思うと、本能的に受け入れられなかったのかもしれない。

それから英語の時間は、サボリだ。午前中が英語の日はわざと遅刻し、午後に英語の授業があれば教室を抜け出し、家に帰ってしまった日もある。

敗戦の持つ意味や日米間の力関係などまだ理解できる年齢ではなかったが、あれは私なりの無意識の抵抗だったのだと今ならわかる。

車との出会い

「子供の頃、何が好きでしたか」と聞かれると、私は「車です」と即答する。テレビもオモチャも何もない時代だったが、車が走っているのを見るだけで楽しくて心が躍ったものだ。

私が子供の頃走っていたのは、ガソリンで動く車ではなく木炭車だった。戦時中、資源のない日本ではガソリンや軽油が不足していたため、木炭車が広く使われていた。

戦争が終わっても、私が住んでいた村ではまだ木炭車が走るのをよく見かけたものだった。

初めて木炭車を見た時のことは、今もよく覚えている。

野本商店の前のデコボコの県道に木炭車が止まっていた。野本商店は、五郎さんの弟が経営している村で唯一の店で、食品や酒から雑貨まで何でもそろっていた。

木炭車は、木を燃やしたエネルギーで走る。だからエネルギーが切れると途中で止まってしまう。