「倉嶋隆志様

お元気で、日々の仕事に邁進されている事と存じます。ようやく、上越にも梅の花が咲き始めました。

早いもので、藤井が突然、天国に召されたあの日から、十八年もの月日が流れようとしています。本当に長い間の不義理にも拘わらず、このような話で始まることをお許しください。

私は、藤井が貴方を初めて『じょうえつ』に連れてきた日のことを、今でも折に触れ思い出します。彼のあのように嬉しそうで、楽し気な様子を見たのは、私も初めてで御座いました。本当に彼は嬉しそうでした。

隆志さんは知らないと思いますが、藤井には五歳年下の弟がいました。名前は『高』と書いて、貴方と同じ『たかし』と読みます。終戦直前の『東京大空襲』で亡くなりました。

当時は大学生で、貴方と同じように東京で建築を学んでいました。藤井は弟を随分と可愛がっていたようで、亡くなったときの落胆ぶりは酷いものであったと聞いています。

そのため、同じような経歴で、しかも同じ名前の貴方を、弟が帰ってきたように思い可愛がったのだと思います。

そして今から思うと、彼は自分が先に逝くことを予感していたのでしょうか。貴方以外に高也のことを頼める人はいないと思ったのかも知れません。

今更、このような勝手な思い込みと甘えについて、私自身が申し上げても、詮無いことですが……。

慈福寺の御住職様から、息子高也の卒業の折に、隆志さんから長い間に亘り、御支援を頂いていたことを御聞きしました。本当に御免なさい。ただ、〳〵、感謝と、そして申し訳なさで一杯です。