【前回の記事を読む】釈放後、棚橋弁護士は私物の引き取りにも付き添ってくれた。若い弁護士、人情刑事、そしてオカン。たくさんの人が僕を支えてくれた

どんだけ青天の霹靂やねん

2018年10月26日金曜日

兄貴の自宅に、[業務命令書]が、内容証明郵便で届いた。

兄貴は、上杉病院グループの本部で、データーサイエンティストとして、統計分析業務を行っていた。

業務内容の特殊性と、株式会社Rでの代表を兼任していることから、勤務形態はフレキシブルで、病院グループからデーターが上がってくる月の後半には、休日も朝夜もなく分析作業に専念するが、月前半には、病院担当者からの質問に対応する程度である。

そして、パソコンがあれば場所は問わず作業できるため、病院内ではなく、自らの会社内で行っている。

株式会社Rは、オヤジが学生ベンチャーのはしりとして30数年前に起こした[ホルター心電図解析業務を請け負う]もので、しかし家内制工業に近い、ごくごく小さな会社であるから、営業や経理から職員管理、クレーム対応まで、兄貴がほぼ1人で行っている。

僕達は、一応、理事長の縁戚でもあるため、病院グループの就業規則に囚われず、そうした業務形態が通っていたのである。

ところが、その業務命令書には、

[翌営業日から、病院本部に出勤し、午前9時から午後5時30分まで、デスクに就いて業務を行う事]とされていた。

[副業を禁止している病院の就業規則に従うように]との趣旨である。

当然ながら、それでは自分の会社の業務はほぼ行えないこととなり、現実的に、対応不可能であることは、言うまでもない。

約6年もの間、一切の遅延もミスも無く、真面目に業務を果たしてきた兄貴にとって、まさに[青天の霹靂]である。

病院側と加瀬弁護士からは、兄貴とオカンに対して、僕の退職届を出させるようにとの圧力があったが、それに応じなかったための、報復的措置に他ならない。