②原子力事業者の無限責任と政府の援助(16条)

竹内先生は、原子力事業者の無限責任について、次のように指摘されている。

すなわち、「わが賠償法は、原子力事業者の責任について限度を定めず、賠償措置額以上の損害を生じた場合には、政府が事業者を「援助」することによって賠償義務の履行を確保する(16条)という体制をとっている。

このように形式的にせよ業者に無限責任を課している国は他に例がない。

(中略)これらの立法・条約では、責任限度をきめる単位も(事故か施設か)額も違ってはいるが、いずれも賠償措置額で民事責任の限度を画し、(中略)国家補償を民事責任の枠の上に積み上げようとする構想をとる。

(中略)しかるに、わが国の賠償法は、かりに国が援助をしなくても、またそれが遅れても事業者は責任を免れず、他方、政府は所定の要件を充たせば必ず「援助」すると約束している、ことが特徴である」旨が指摘されている(前掲『ジュリスト』29頁)。

このような制度に対して、竹内先生は、「すくなくとも英国法のように、国が援助しない限り事業者に賠償義務はないという形において、弾力的であるにせよとにかく責任限度を決めるべきではなかったか、それによって国の援助義務は一層明確になろうし、また事業者としても一応の予見可能性を確保しえたのではないか、という疑問は残る」(前掲『ジュリスト』35‐36頁)と指摘されていた。

竹内先生が、企業のガバナンスに関して、次のように指摘されていたことが注目される。

すなわち、「およそ企業にとって致命的なのは、負担や支出自体ではなくて予測しえないそれらである。従って原子力開発を民間企業によっても推進しようという政策をとる限り、最小限必要なのは、万一の事故の場合の予測しえない責任を予測可能なものに転換することである」という(前掲『ジュリスト』29頁)。

竹内先生の以上のような指摘によるご示唆を今回の福島原発事故に当てはめるならば、東京電力の負うべき無限責任としての損害賠償責任を予測可能なものにさせる必要があることになる。

 

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