キリストの像

昭和23年、浩は小学校1年生になった。小学校は豊岡小学校という。港区にあり自宅からは小学生の足で20分くらいのところにあった。自宅は芝田アパートというアパートの1室であったが、アパートは鉄筋で4階建て、所帯数からいえば現在のマンションに相当する。

配給の食糧が大八車で届くと子供達は大声で、配給、配給と叫んでアパートの住人に知らせた。配給のトウモロコシの粉はまずくて食べられなかった。芋の缶詰は何とか喉を通った。田舎で育った私には配給の食糧はどれもまずかった。

外に出ると白い壁に焼夷弾のガソリンの痕がくっきりと残り、爆弾の落ちた痕なのか地面のえぐれた痕が残っていた。道路には米軍のジープが走り、フォードやシボレーといったアメリカの車もその優雅な姿を見せていた。

自宅から20メートルくらいのところに通りに面したところはガラス張り、室内は派手な原色の装飾がなされている建物が現われた。何でもワッチタワーとかいう教会で牧師はハワイ出身の2世とのことだった。

この教会では1週間に1回午後7時から英語を教えてくれるので1回も休まず通った。教会のジープに乗せてもらって近くをドライブしてもらったことがある。初めての体験で感激した。駅の改札口で教会のビラ配りに協力したこともある。

ワッチタワーが物見の塔というキリスト教の一派であり日本で布教していることを知ったのは大分後のことだ。

豊岡小学校の講堂に入った時、中は薄暗かった。壁に幾つかの絵が飾られていたが、その中に、十字架に掛けられた男の像があった。手首から血が流れ腰のあたりは薄い布で覆われているだけだった。男の上げる苦しみの声が聞こえてくるようだった。この像は2度と見たくないと思った。漫画の妖怪や化け物の方がずっと可愛い。

母親に、今日見た像について話をしたら、それはキリストの像だと教えてくれた。何で十字架に掛けられたのかは知らなかった。当時、母はキリストの贖罪につての知識はなかったようだ。

母親は近所の人に誘われたのか、自分が希望したのか分らないがワッチタワーの聖書研究会に参加し始めた。何でも新しいものに飛び付くくせのある母のことだ、誘われてすぐに参加したのだろう。

 

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