「何だ。吉兵衛か。つい先だっても申したが店賃は払えぬ。無い袖は振れんぞ」

猛之進は立ち上がる気力もなく着物の袖をばたばたと振ってみせながら、板戸の向こうにいる大家にそのままの格好で返事をした。

「店賃の催促にはこのあいだお伺いしたばかりですから、いただけないのは承知しておりますですよ。その事とは別にしてお話があるのでこうしてやってきたしだいです」

「店賃以外のことなら承知した。心張り棒など掛かっておらぬからいつでも入ってまいれ」

「はいはい……それじゃあ、ごめんなさいましよ」

かまち吉兵衛は狸に似た顔を覗かせ、臆面もなく平土間にずかずかと入ってくると上がり框に腰を下ろした。平土間とは言っても猫の額ほどの広さしかないのだが……。

「して……用というのは何なのだ」

「須田様……ご無礼かとは存じますがお顔を拝見しますと、ここ暫くお食事らしいお食事をしてはいないご様子でいらっしゃるのでは……」

やはり見る者が見れば直ぐにわかるほどのうらぶれ様なのだ。

「何を申すか、吉兵衛。この江戸では武士は食わねど高楊枝(たかようじ)などと申すではないか。いや、などと強気なことも言ってはおれぬ。実を申すとその方が見たとおりだ。米櫃も空で困窮に耐え忍んでおるというのが本当のところだ」

 

👉『刀の反り』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】妻の姉をソファーに連れて行き、そこにそっと横たえた。彼女は泣き続けながらも、それに抵抗することはなかった

【注目記事】滑落者を発見。「もう一人はダメだ。もうそろそろ死ぬ。置いていくしかない…お前一人引き上げるので精一杯だ。」