勝てる見込みがないとは言わないが、そのようなことより、どこの馬の骨とも分からぬ輩など相手にもしてもらえず門前払いである。
幕府の御膝元には名も知らぬような様々な流派が数多く道場を開いていた。道場主は先ず初目録に相手をさせる。
負ければ中目録授与者、次に師範代と相手をさせて勝てぬ場合は奥座敷に通し、何がしかの金子を与え体よく追い払うのである。
道場主が負けなければ流派の面目は保てるのだ。それだけに、道場に押しかけ負けるなどすれば袋叩きにあうのは覚悟しなければならない。
猛之進はこれまでに二度ばかり他流試合を挑んだことがある。二度とも一両ばかりの小判を懐に収めたが、その頃は未だ国元から持って出た金子が底をついておらず、腕試しということでもあり食うための道場破りではなかったのだ。
他流試合をするには下調べが大事である。師範代に勝てなければ、簀巻(すま)きにされ大川にでも浮かぶことにもなりかねない。
勝てそうなところを探さねばならぬと猛之進は思った。それには、まずは腹を満たさなければ動くこともままならないと思い、再びその場に崩れるように座り込んだのだった。
その時である。誰かが長屋の戸を叩いた。
「須田様……須田様、おりますか」
戸口の前で猛之進を呼ぶのは聞き慣れた大家の吉兵衛の声であった。