「もう後戻りはできないの。あとは螺旋階段を降りて冷えたシードルを楽しむだけ」
帰りかけた智子はふと、空を見たいと思った。
ファームの区画に出る。次の収穫を目指す区画。真夜中の苺畑。収穫期は遥か先だが、区画の一画にテスト用のプレプラントがあった。生育をシミュレーションするために先行して育てられている、熟し始めた実は強烈なフレーバーが香り立っていた。
智子は天井を見上げた。透明アクリル樹脂のパネルのさらに上には氷点下の世界がある。感覚的には地表より宇宙に近い。リモコンで天井パネルの対放射線・紫外線反射パネルをスライドさせた。透明なアクリルガラスの向こうから星々の光が差し込んできた。
智子は比較的熟した苺の粒を一つ選んで口にした。初摘みの苺は大きい。まだ若いがサクッとした食感が心地よかった。ジュースとともに爽やかな芳香が口中に広がる、続いて甘みと酸味が訪れる。まだ完熟はしていないが、魅了するものが十分にあった。
智子が見上げると無数の星々が輝いている。地上で見るよりも遥かに強い光――地上でも昔は空気の澄んだ砂漠で真夜中には銀河の光で影ができたという。そんな父の話を思い出した。ふと智子は、人類はどの星にも到達することなく、いずれ滅びるのだろうと思った。なぜそう思ったかはわからない。智子は天空を見つめ、数億の恒星の光を浴びた。
「光の圧すごい」
振り向くと、無数の実をつけた苺の苗に自分の影がかかっていた。
次回更新は6月19日(木)、22時の予定です。
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