何日かして学校から帰ると、いつもの場所にピカピカの新しい自転車がでんと据えられてあった。「これ、どうしたん?」私は「ただいま」の挨拶も忘れて思わず大声を出していた。奥から顔を出した父が、「買うたんや。どうや、ええやろ。新車やで。乗り具合は前のとは比べものにならん」と言って自慢をした。

父の明るい顔は嬉しかったが、「お金、どうしたんやろ。(値段が)高かったやろうに、無理したんやな」と思うと、私はすまない気持ちで一杯になった。新しい自転車が来て、家の中が一ぺんに明るくなった。「家(うち)にとっては生活必需品やもん。これでおとうちゃんも仕事ができる」私は何だか豊かな気分になった。

ところがである。新しい自転車を買ってから何日か過ぎたある夜明け方、二階で眠っていた私は、母のけたたましい叫び声で目を覚ました。「また自転車を盗られた──」

何ということだ。今度は家族みんなが寝静まった夜中にやられたのだ。父の落胆ぶりは見るのも辛(つら)かった。どうしてこう貧しい家を狙(ねら)うのか。ヤミでどっさり儲(もう)けている家(うち)も沢山あるだろうに……。

無性に腹が立った。犯人を取っつかまえて自転車を取り返したかった。けれど前の時と同じように、盗られてからではどうしようもなかった。「前の自転車を盗ったんと同じ犯人やと思う。うちでは自転車が要ることを、よう知っている奴や。

それで『まあ見ててみ、自転車が無かったら仕事にならんからまた買いよるで。そいつをまた狙(ねら)おう』と、ずっと様子を見てよったんや。そこへ新車を買うたもんや、見逃すはずがない。あんじょうやられてもうた」そう言うと、父はがっくりと肩を落とした。

少し前から玄関の引き戸の錠前がすり減って、閉まらなくなったので、二枚の戸の重なる部分の下の方に父が錐(きり)で穴をあけた。そして夜はその穴に五寸釘(くぎ)を差しこんで、戸を引いても開かないように、そんな戸締りをして眠った。

引いても開かない戸は、外から持ち上げれば簡単にレールから外れたのだ。普通そういう開け方はしないから、釘(くぎ)を差しこんだだけで戸締まりになると思っていたのが誤りだった。泥棒をするような人は、そんなことは先刻承知の上だった。

気がついた時はあとの祭り。こうして二度も自転車を盗まれたのだった。わが家も貧しかったが、戦後まもなく、日本の国も貧しかったころの苦い思い出の一つだ。 

 

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