この救世主こそ、一八三九年八月二十日、高杉家二〇〇石の嫡男として生まれた高杉晋作である。
晋作は萩城の本丸内にあって上級武士だけが住む区域である堀内に生まれ、父の小忠太と母の道の、男の子としては一粒種の嫡男として大切に育てられた。
高杉家は安芸武田の有力武将で、毛利元就が戦国大名となった時から彼を助けて毛利家に忠義を尽くしてきた。
その誇りを代々受け継いでおり、萩移住以降は大組(おおぐみ)に位置付けられる、一五〇石取りの上級藩士であった。
父の小忠太は盆栽と歴史が好きで、嫡男である晋作には横紙破りの言動を慎み穏便に世間を渡ることを求めた。
小忠太は特に毛利藩誕生の時の経緯に詳しく、そこから毛利家の生き方と高杉家の生き方を学んできた。
今毛利藩は関ヶ原以前のように中国地方九カ国のほぼ全てを支配する大大名ではなくなっていた。
それでも高杉家が上級藩士として処遇されているのは毛利元就時代から続く先祖代々の命懸けの忠義によるものであり、毛利家と高杉家の先祖の霊に感謝し、足を向けて寝てはいけないと小忠太は考えていた。
それにしても毛利藩の藩祖である毛利輝元公の愚か者だったことよ。