前編|生い立ち

誕生から幼少期

私は一九五二年四月二日、福岡県嘉穂郡(現在は嘉麻市)嘉穂町で生まれました。嘉穂町は炭鉱町で、五木寛之の『青春の門』の舞台となった筑豊炭田の地域です。当時の話は母親が存命中に何度も聞かされました。

二人目の私を妊娠中から父親との離婚話が進んでいたため、母は中絶しようかどうかと迷っていたようです。母は叔母から産んだほうが将来のために必ずよいからと諭されて、不安ながらも私を産んだそうです。早生まれになって学年が一年早くならないように、四月一日の深夜まで我慢して明朝四月二日に私を出産したとのことです。

私が生まれてからも夫婦の折り合いは悪く、父の異性関係のことで毎日夫婦喧嘩が絶えなかったと聞いています。父は結婚後早々に何人もの愛人をつくり、家を留守にすることも多かったと母は言っていました。

母の話では、赤ん坊の私を抱いてあやすどころか両親とも家を留守にして、長時間寝かされてばかりだったといいます。私の頭部が絶壁なのは寝過ぎたせいだというへ理屈まで聞かされました。

二人がどんな夫婦だったのかを、母の姉妹から少しは聞いたことがありますが、離婚に至るまでの真相は残念ながら私にはわかりません。しかし、私の育ての親である祖父母の話をすることで父の実像も推測できるかもしれません。