はじめに

まず、「北田徹」って何者? どこかの医大の教授でもなさそうだし、所属のOtawa-Kagakuも怪しい(英語表記も怪しい)、とお思いでしょう。

そこで、著者の略歴から紹介させていただきます。私は医学部卒業後、東京の私立医大の脳神経内科で神経学のトレーニングを受け、専門医を取得し、パーキンソン病をはじめとする神経変性疾患の臨床に特に力を入れてきました。

同時に大学で家族性パーキンソン病の遺伝子同定を研究課題とし、慶應大学分子生物学教室(当時、清水信義教授)に国内留学。

1997年に世界初の常染色体劣性遺伝型パーキンソン病の原因遺伝子の同定に成功し、上記教室の他の2人の先生とともに遺伝子バンク(GenBank)1)に遺伝子配列[正確には相補的DNA(complementary DNA=cDNA)と12個のエクソンの同定:巻頭付録1]2)の登録を行いました(3人の連名にて発見)。

この新規遺伝子を私はパーキン(parkin、遺伝子シンボルPARK2)と名付けました。研究成果については、翌年1998年に私が筆頭著者の論文をNature誌に発表しています。

その後、この遺伝子産物であるパーキン蛋白の働きと、その変異による神経細胞死のメカニズムに興味を持ちますが、古巣に戻るも、本邦での研究からは徹底的に排除され、断腸の思いで海外に研究の場を求めることになります。

米国のボストン、カナダのオタワ、そして今は中東のUAEU(United Arab Emirates University=アラブ首長国連邦大学)の研究グループと、場所は変われども、30年近く研究魂は変わることなく、途中何度か研究断念の危機はありましたが、パーキンをメインにパーキンソン病の研究を続けています。