六根とは、「感覚・認識・作用のよりどころとなる六つの感官(眼・耳・鼻・舌・身・意)」のことを言い、六根清浄とは、「六根が福徳により清められ人間の心身が清浄になること」と広辞苑にもあります。「六根」を清浄にと願い祈っていくことが必要になるのでしょう。
入信後、東京から毎月信心の指導に出向いてくれた先行く人たちのお話は、「お釈迦様が譬え(参考 法華経で法華七譬を説かれています)を引きながら、わかりやすく説き明かされるお話」でした。子供ながらにも不思議な思いで聞いていたのです。
私は小学五年生でした。その頃私が、学校の理科の時間にどこまで学んでいたか定かではありませんが、地球、太陽系、星雲、星団とか銀河系へと限りなく広がる宇宙、天体のことを勉強していて不思議を感じていたのだと思います。
凡人凡智では計り知れない宇宙の深遠な広がり大きさについて、お釈迦様は三千年(注※)も昔、当時学問もない民衆に、わかりやすく教えられたのだということを聞いていて、「スゴイなぁ!」と、驚愕にも似た感動を覚えていたのです。
(注※当時、その様にお聞きしていたのですが。今、西暦が定着した現代では、確かに計算が合わないのですが……。二十年程前の東京新聞の記事で読んだ記憶では、釈迦滅後千年は正法時代、二千年迄は像法時代、二千年以降万年を末法としているが、釈迦の入滅年も諸説あり、像法時代も五百年とする説もあるというような記事)