第1章 英国生活の始まり

日産自動車株式会社(以下、日産)に勤務していた私は、辞令により1996年7月付けで経理財務部門から派遣され英国のNissan European Technology Centre(以下、NETC)に駐在することを命じられました。

早稲田大学を卒業し1981 年4月に日産に入社以来、欧州部、産業機械事業部海外販売部、米国留学、財務部と歩んだキャリアを経て、15年目を迎えた37歳にして実現した英国駐在です。

もともと海外で仕事をする機会を願い、とりわけ欧州で活躍できる場を求めて入社したこともあり、辞令を受けた時は、これまでの経験を活かせる新たなチャレンジを得たことを心から喜んだものでした。

欧州部時代に何度も欧州出張を経験し、この地の複雑で奥深い面白さを体験していました。欧州のビジネスパートナーとの交渉・折衝、交流などを行っていましたが、今度は短期間の訪問者としてではなく、現地の生活者として地に足をつけた仕事をすることが期待されているのです。

念願叶い、ますます奮起しようとする力が静かに込み上げてくるようで、心地よい気分のうちに赴任準備を進めていったものです。

1.クルマと地図

いよいよその日がやってきました。搭乗した飛行機が英国領空に入り徐々に高度を下げていくと、緑豊かな大地がだんだんはっきりと見えてきました。

広いゴルフ場のような一面緑色の陸地の中に、ぽつりぽつりと家が現れ、町になり、大きな都会が現れたかと思う間もなく、搭乗機はロンドン・ヒースロー空港に静かに着陸しました。

空港には、私と入れ替わりに帰任する前任者のO氏が出迎えに来てくれていました。「直行便とはいえ、長いフライトおつかれさま。明日から早速引き継ぎの打ち合わせを予定しているけれど、この迎えのクルマの中でも伝えられる話があるから、思いつくままに話しておくよ」と、ざっくばらんに会社の状況、仕事のポイントと新生活準備の注意事項をあれこれと本人の経験を交えて教えてくれました。

O氏の運転するマキシマ(Nissan Maxima)は、ロンドン・ヒースロー空港から高速道路M1を北に向かって疾駆し、1 時間ほどでミルトン・キーンズ(Milton Keynes)という町に会社が用意した借り上げ家屋に到着しました。

ミルトン・キーンズの町は同じバッキンガムシャー(Buckinghamshire)にあるNETCの社屋から西方に約6kmの場所に位置し、会社へのアクセスが良いこと、比較的新しい建築家屋が多いことから駐在員には人気のエリアで、日産社員も多くの人がこの町に居住していました。

「さあ、着いた。この家は、何人か新任の駐在員が住んでいる。皆、家探し中だ。新しい家が決まるまでの辛抱だな。明日、人事の担当から家探しのノウハウやヒントについて話があるだろうけれど、会社に通いやすいところを探すべきだね。

クルマは、本人用1台、家族用1台がリース貸与されるよ。まず用意すべきは、英国の道路地図だ。今日は夕方18時にまた来るから、夕食を一緒に食べに出よう。明日は朝8時に迎えに来るよ。じゃあね」とO氏から温かい言葉をもらいました。

 

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