ただ、各地を周りながら分かるのは、日本の古典ともなった古事記・日本書紀に書かれている事とは違い地域によって別の伝承があり、それがつい昨日のことの様に息づいているという事だ。
天照大神にも当然、人として生きた時代がある。
岐阜県恵那山でお生まれになり、イザナギとイザナミが天照大神の恵那=(へその緒)を納めた事がそのまま地名の由来となった。
徳島県の八倉比売神社(御祭神=大日霊貴)の古文書には天照大神の葬儀について、「伊魔離神が先導し、葬儀委員長大地主神、木股神、松熊二神(天宇受売・手力男神)が葬儀を行った」と詳細が記されているという。
海を越えてやってきた古代渡来人たちの足跡を感じることは多く、それは私達のご先祖さまでもあるが、八世紀に古事記・日本書紀が編纂されると、八世紀以前の流れは統合された歴史の中に飲み込まれていき、なかなか窺い知る事ができなくなってしまった。
私は特に、古い歴史が好きなのだが、日本の歴史モノと言えば、幕末や戦国など何百年か前の所謂「チョンマゲ物」ばかりで、せいぜい古くても千年くらい前の鎌倉や平安時代がいいところだ。
隣の韓国では二千年前の歴史ドラマや紀元前の歴史ドラマなどザラにあるのに、なんて薄っぺらい歴史なのだろうといつも寂しさを感じていた。
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