パイロットになろうと心に決めたあのとき

私の生い立ちについて、ご披露したいと考えているわけではありません。

妻が難病を発症して一生完治しないと宣告を受けた際に、一瞬頭の中が真っ白になったのは事実です。その後すぐに発想を転換して原因の追究に没頭することができたのは、幼少期パイロットになる決意をしたときから35年に及ぶ現役生活を通じて醸成された思考形態・思考性癖が強く影響している可能性があると考えられるからです。

「飛行中怖いと思ったことは何回ぐらいありましたか」と聞かれることがよくあるのですが、緊急事態が発生したときは瞬時に安全に飛ぶ方策を考え実行します。次にその時点でのベストと思われる復興方法を考え実行します。というように音速に近い中で次々に考え実行しなければならないことがあり怖いと思っている暇がないのが実態なのです。

私は太平洋戦争勃発1年前の昭和15年(西暦1940年)4月18日に、旧満州国奉天市(現在中国東北部の遼寧省瀋陽市)で生まれました。

父親が旧帝国陸軍の関東軍に所属する軍属であったため、生後しばらくは奉天の陸軍官舎で、2〜3歳の頃錦州市の陸軍官舎に移り住み、5歳になるまでそこで過ごしました。

たぶん3歳か4歳の夏だったと思いますが、近所に住む優しい軍人さんに連れられ、近くの飛行場で行われた航空ショーを見物する機会がありました。

見たことのない物体が、大きな音を立てて鳥のように広い滑走路周辺上空を舞う姿に強烈な衝撃を受けました。

軍人さんに「あれは何なの」と質問しますと、「飛行機といって中に人が入っている」と教えてくれました。将来自分があの中に入ってやろうと決意した瞬間でした。

 

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