「清水谷公園に集合。隊列を組んで、新橋までデモッて解散!」
「やっぱし…。僕達も昔の若者に負けずに、なにかをしなきゃ。もっとはっきりと僕達の気持ちをぶつけなきゃならないんだよな……」
ケンに問い掛けた青年は隣で一緒に飲んでいた友人に向かって、なにかを決意するかのように声を張り上げた。
かつて、若者はなにかに追い詰められたように突っ走り、そして駆け抜けた……。ケンもまた、そんな一人であった。はるか遠い昔の日々が走馬灯のようにケンの頭をよぎった。
〈ここでひとこと!〉
「この子ばっかしゃ」はケンと向き合った時に、大人から発せられた咄嗟のことばである。標準語であれば「この子ばっかりは」であるが。
とは言っても、どこか違うニュアンスが含まれている。おそらく「ばっかしゃ」に、時に応じたさまざまな感情が複雑に含まれているからであろう。
新潟の、ラジオ局のアナウンサーがふとつぶやいた。「やんちゃで、賢くて、ちゃんと社会を知っている……同級生だったらきっと私も好きになっていたと思う……」などは、代表的な受け取りかたである。
そのほかにも次のような感じ方があるかもしれない。
「1」賢い。小賢(こざか)しい。小利口。頭がよく走る。
「2」ちゃっかりしている。抜け目がない。上手に立ち回る。小正面(こずら)憎い。
というように、あきれられたり、誉められたり、時にはたまげられたりもしてきた。土地の人々は方言で「うすら上手(賢く、うまく立ち回る)だて!」とか、「ほんにこの子ばっかしゃ、ちゃっかりしているて!」などと、きっと言ったに違いない。