十日後、まだ夜の明けきらぬうちに、徳三郎は石ヶ崎の我が家を出発した。徳三郎にとっては初めての旅である。
これまでの十八年間、彦根から一歩も出ることなく過ごしてきたが、未知の旅への不安やら江戸での生活への期待やらで、昨夜はろくに眠っていない。
番場宿を過ぎたころからようやく空が白み始め、柏原宿に差し掛かった時は、すっかり夜が明けていた。街道沿いを流れる清流の中に朝日を受けた水草がゆらゆらと揺れている。
「若様、ここらで一休みいたしましょうか」
芳蔵に言われて徳三郎はしぶしぶその清流にかかる小さな橋のたもとに腰を下ろした。彼はまだ疲れを感じていなかったのでもう少し先まで進みたかったが、旅慣れた芳蔵に従うことにした。
芳蔵は彼の従者というより、道案内人でもあり、保護者でもあった。二人はそこで、母が用意してくれた朝食の握り飯の竹皮包みを開けた。
宿のものに見送られた旅人が足早に彼の傍を通り抜けていく。大きな荷物を背負った商人、数人の従者を連れた武士、子供連れの夫婦などが、京方面へ、あるいは江戸方面へと向かう。
あわただしい宿場の朝の様子を眺めながら、徳三郎は旅の始まりを実感していた。
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