「企暴連」は桜田門にある警視庁の旧館の一角に質素な事務所を間借りしていた。唯井は吉村事務局長にマツさんを遠縁に当たるものと紹介した。それは間違いではない。マツさんは名刺交換のあといきなり
「来年の海外研修は、アフリカにされませんか」と切り出した。とつぜんの強引な面会のうえ、まだ公でない研修の話ときて、ふだん温厚な事務局長も内心すこし立腹した。白髪あたまをかき「どなたサマから聞かれましたかな」と呆れたように唯井のほうに目をやった。唯井もアフリカには正直面食らった。
旅行は毎年、会員企業の株主総会が集中する六月がおわって、一段落した七月初旬が習わしとなっている。まだ半年以上も先の話だが、確かに来年は恒例で四年に一度の海外旅行であった。
「それから、またどうしてアフリカですかな?」
事務局長は若い頃警視庁から、中東のヨルダン・ハシミテ王国の日本大使館へ、警備対策官として出向した経歴があった。とうぜん近接するアフリカ諸国の情勢にも詳しかった。しかしマツさんは臆面もなく続けた。
「アフリカには、政府も開発会議などを通じて今までずっと注力しています」
何年かおきに開発会議と称して、アフリカや日本で一連の盛りだくさんの会議が開かれること、そして会議以外にこれといった成果がないことも確かであった。局長にとって、これは、はなから聞いておわりの話だった。
そうだ、そのはずだった。ところが、脳神経科学でいう膨大な数の神経回路の「ゆらぎ」は、ヒトの「自由意志」など幻影かのように、ヒトの行動を電気信号の一瞬一瞬の偶然で左右する。
だからこの時、局長が「では検討しておきます」と言う前に、突然回路がスパイク、つまり電気発火したとしか考えられなかった。
「アフリカのどこですか?」
吉村事務局長の口がかってに動いた。
「ケニアです。首都のナイロビを中心に回ります。日本との関係も古いし対日感情も悪くない」デタラメにしては案外すらすらと出てきた。なにかに取り憑かれたような言い方に、唯井は内心驚いていた。
「しかし、ナイロビはあまり治安が……」と言いかけて、局長はそこでなにかを思い出した。ナイロビにはヨルダン時代に世話をしてやった知り合いがおり、確かいま大使館で二等書記官をやっているはずだった。
――面倒はごめんだが形さえつけば、ならぬ話ではない。奴(やっこ)さんに貯め込んだワインを吐き出させてやるか――局長は犯人を追う冷静な刑事の表情で、口元には余裕を浮かべている。唯井は面倒に巻き込まれないか、気が気ではなかった。案の定、白々しい謎かけがきた。
「唯井さん、この件は会社のだれかにご相談はされましたかな」
この場合、唯井の会社で「だれか」というのは一人しかいなかった。ノンキャリながら警視庁の幹部をつとめ、そのむかしに「企暴連」の発足にも関わっていた坂本という上級顧問だ。
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