「それだけで、何もかも報われる思いがするわ」
「私はただ予想外だと言ったつもりよ」
茉莉はスーツケースに載せた紙袋のずれを直しながらも目は典子から離さなかった。横に向けた眼が白目になった。
「バラの花がどうという事ではないわ」
「ええ……でも」
典子は笑みを滲ませた目を茉莉に返して言った。
「あなたは薔薇を一つひとつ、丹念に見てくださっていたわ」
「……」
茉莉はしばらく典子に向けていた視線をわずかに逸らした。
テラスにて
「さあ、こちらにいらして。まだ日盛りだもの、中に入って」、典子は声を弾ませて言い、テラスに茉莉を促した。
「どうぞお掛けになって」
荷物を移動させた茉莉に微笑み、典子は花壇に向けて椅子の向きを直した。しかし茉莉は、すぐには掛けようとはせず、テラスのものを一つひとつ点検するように、ゆっくりと視線を移していった。
特にこれ、というようなものは置いてなかった。と言うより、ここでも装飾品などは持っていなかった。
リビングルーム側の壁に吊るしたラベンダーとユウスゲのドライフラワー。その下には剪定鋏や薬品などの入ったスチールのストッカー、その天板の上には大きさの違う幾つかの花瓶、しまい忘れたままの大小の剣山などが見えている。
その真向かい、バルコニーを支えるL字の柱に接して縦型のスリムな収納ケースがありジュノーの用品が入っている。その上にはティッシュや幾つかのスプレー缶が載っているほど。茉莉の目はそれら典子の日常の用品から、反対の東側面に回っていった。
その時にも茉莉の目はテーブルの上の溢れんばかりの薔薇、先ほど典子が整え直した薔薇に、気を留めたようには見えなかった。
東側の際(きわ)、前面にはやや低めのスチールの物置が置いてあり、その上にも同じような物が並んでいる。
バカラやボヘミアンガラス、磁器などの様々な花瓶、置時計など。唯一目を引く物と言えば、アラバスターに彫られた高さ三十センチほどの聖母像ぐらいだろうか。
しかし茉莉の目はそれらもゆっくりと通過し、隅の帽子の上に留まった。クロムメッキのスタンドには五個の帽子が掛けられていた。散歩用の帽子が三個、サンバイザーが一個掛かっている。
つばの広い麦わら帽子や園芸用の物は壁のフックに掛けてあった。
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