【 四 】
聖書のページをめくる。注解書で分からない語彙(ごい)を調べたりしながら、ゆるゆると読み進めていく。登場人物の名をメモ帳に書き付けたりもする。時に、同じ名を幾度となく書きながら読んだ時のことを思い出してはおさらいもする。
「ふう」
一つ息を吐いて、私は天井を仰いだ。
いつもと違ってはいるけれど、どこにでもあるようなデザインの、平凡な天井である。
「夏春君、その後どう?」
「あ。少し落ち着きました。ありがとうございます」
「よかったぁ。それにしても災難だったね。家が雨漏りするだなんて」そう言いながら横に座るのは、この宿泊施設の管理人さんだ。
私は今、岡山市からやや離れた場所にある、備前市近郊の海沿いの宿泊施設に泊まっている。ただの宿ではなく、精神病院から退院した人が社会での生活に慣れるとか、泊まる場所を応急で必要とする人が利用するとかいう目的で建てられた施設である。
私が購入した農地付き古民家は、どうしても不具合が出る。このところの雨で、ついに雨漏りが起きたのだ。購入の折にある程度はリフォームしてもらったが、その時に支払うことのできた金くらいでは、修理と言っても、はなはだ不十分な出来のものしか実現しなかった。完璧な仕上がりからは程遠いと言わなければならない。
床一面、水浸しになるほどの雨漏りに、ひとまず緊急でリフォームをしてもらうことになった。できるなら、もっとしっかりリフォームした方がいいと言われたけれど、「金が工面できない」と正直に伝えるしかない。
すると、業者の人もいろいろと事情を察してくれたのだろう。雨漏りが起きた箇所へ最低限の修理を施し、濡れてびちゃびちゃになった畳と床板を取り替えて、できる限りお得に施工していただけることになった。
ただ、一日では完了しない。日頃からお世話になっているソーシャルワーカーの佐々木さんに連絡をする。ホテルに泊まるような金は持ち合わせていない。頼る先が思い付かない。どうにかならないかと、相談するのである。
それで紹介されたのが、この施設だった。
「じゃあ、これも」
手渡されたのはカラー印刷のパンフレットだ。
「へえ。この近くの、おすすめ観光スポット」
「どうせ海沿いまで出てきたのなら、歩いてみればどうかと思って。もし元気が出てきたら、少しだけ」「ありがとうございます。じゃあ、ちょっと行ってみようかな。聖書って、分厚いですよ。読むところもたくさん」
「一ページめから、律儀に読んでるもんねぇ」
彼女の微笑みに、頭を搔く。ページをめくるたび、菅野さんの姿がはっきりと目に浮かぶ気がして。何となく。
彼の読書は始めから止まらず、いつまでも読むことをやめない。
私は再びパンフレットへ視線を落とす。せっかくのおすすめだし、少し歩いてこようかな。
「じゃあ、行ってみます」
一つ頷いていつものリュックを背負い、永ちゃんにもらったスニーカーを履く。外に出た。
管理人さんが、施設の入口まで見送ってくれる。パンフレットを開いて現在地を確認し、ウォーキングを始めた。
本連載は今回で最終回です。