その矢先、ノモンハン事件が勃発しました。所属していた関東軍の中隊は全滅し、次から次へと病院へ負傷兵が運び込まれ、父が入院していたその病院に収容しきれなくなって、前から入院していた患者たちは、父も含めて内地送還となったのです。今にして思えば何と悪運の強い父だったのでしょう。

そんな父のことを心配してくれた父の姉は、「養子にやれば少しは落ち着くだろう」と、母との縁談を持ちかけてくれたのでした。母の父親は大きな料亭を営んでおりました。昭和十八年養子縁組して母と結婚、母が私を身ごもりました。

戦争が激しくなってきました。その頃、父は軽い結核を患い、その療養のために空気のよい田舎への転地療養がよいこと。

また、東京は戦争による混乱が日に日に増しておりましたので、母の出産にも備えて、北信濃の地へ疎開することにしたのです。同じところに住んでいた祖父母や叔父たちも高級料亭をたたみ、一緒に北信濃の地へ疎開したのでした。