“あー、そうだ。この声は”とやっと思い出した。知っている人がいるとすごく安心した。手術台に上がり横になっていると、手に大きなマスクがついたチューブを持った別の先生がそばに来て、
「今から麻酔、眠たくなるお薬を入れますね。このマスクをするから、大きく深呼吸しながら、心の中で1から数を数えてね」と言われたので頷くと、口と鼻を覆うようなゴムマスクを被せられた。
ゴムの匂いがした。言われた通り3まで数えたところまでは覚えているが、目が覚めるといつものベッドから見える窓が見えた。窓の向こうには母の顔があり、その横には父がいた。
“あれ、面会時間やったっけ。今日は何曜日やろう”と、ぼーっとする頭で考えるが、すぐには現状を理解できずにいた。
「手術、無事に終わったからね」と看護師さんが声をかけてくれた。
“そうだ、手術したんや”と思い出し母を目で探した。すぐに母は、
「お母さん、ここにいるで」と手を振ってくれた。
お腹の痛みはほとんどないこと、母の存在を確認したことで安心したのか、また眠ってしまった。
「順也、痛くないか?」と兄の声で目が覚めた。兄によると、両親は1時間くらい前に帰ったとのことだった。
次の日の朝、傷の痛みで目が覚めた。“いつまで痛いんやろ”と痛みを少しでも忘れようと、布団の端を触って気を紛らわせようとしていた。しばらくして、何も食べていないのに急に大便がしたくなった。
ナースコールの呼び出しボタンを押すが、朝の病棟はめちゃくちゃ忙しいのでなかなか来てくれない。お腹を自分でさすりながら、“なんで来てくれないの、まだあー”と何度も思った。“もうダメだ、漏れそう”と思った時に、
「順也、お尻を上げてみ」と兄の声がした。
兄は差し込み便器を持っていた。僕が大便をしたいことを知った兄が、トイレまで行き、差し込み便器を持ってきてくれたのだ。恥ずかしい気持ちもあったが、それ以上に我慢ができずにいたので、兄に便器をお尻の下に入れてもらった。
“助かったあ”と思い息むと傷の痛みが強くなり、思わず息むのをやめた。ゆっくり息むと、オナラと一緒に便みたいなものが少し出た。
「お兄ちゃん、ちょっとだけ出た」と声をかけると、
「よかったやん」という兄の声が聞こえてきた。
「手が全然届かないから、拭いてよ」と言うと、
「えっ、自分でやれってそれくらい」と言われた。
頑張って手を伸ばすが、全然お尻には届かない。「うー、あー」など言いながらしていると「もう、僕やるわ」と兄は右手にトイレットペーパーを巻いて左手で鼻を押さえながら、
「お尻もっと上げろって。ケツを上げろよ。そう、そのままやで」と言いながら、お尻を拭いて片づけもしてくれた。
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