「清く、正しいことをするのが政治家だよ。お小遣いのことは心配しなくいいし、学校をやめることもないから今までどおりの生活でいいよ」
子どもを安心させるように優しさを保ちながら答えた。
「ポスターに落書きされたり、嫌がらせの電話があったり、結局家族を巻き込むことになる」
義母は娘や孫を思う気持ちから憂いをぶつけた。
「家族には迷惑をかけません。誓います。国民の声を国政に反映するのが政治家の役割です」
両手のこぶしに力を込めてテーブルに広げるポーズを取った。その姿にも動ぜず、
「私たちは政治に巻き込まれたくないから、田舎に戻ります」
義母に、きっぱりと言い切られた。終始黙っていた義父も深く頷いた。
「家族に迷惑をかけるようなことはありませんから。このまま一緒に居てください」
渉太郎は苦悩と自信が入り混じった真顔を垣間見せながら、
「立候補することを分かってください!」
頭をテーブルにこすりつけて家族に懇願した。日頃の雄邁(ゆうまい)な精神は影を潜め、捨て身の体(てい)で訴えた。安定した生活を投げ打ってでも、社会のために貢献したいと強く思った。この思いは天命に適うものだと固く信じた。渇いた魂を潤す聖水のように、自分の運命を切り拓ける絶好の機会あれかしと祈った。
渉太郎の様子を見て、家族は再び口をつぐんだ。
家族の話し合いの場は、晴れやかな笑顔はなく、沈鬱な雰囲気の中で、渉太郎の説得も効果がなかったように思えた。急流を泳ぎ切ることに家族の誰もが不安を感じていた。サラリーマン家庭の平穏をかき乱す出来事に家族の誰しもが混乱していた。
「少し背伸びをすれば届く世界」とは渉太郎以外には誰も感じ取らなかったのであろう。それにもまして、政治が社会に役立つ営為であることが、理解されなかったことに心が痛んだ。
渉太郎は家庭内に居場所がないことを悟った。