2018年10月16日火曜日

解放されて、1週間が経った。

僕は、上杉病院グループから懲戒解雇されたままであるため、職場にも戻れず、宙ぶらりんの状態でいた。

睡眠障害は、悪化しており、夜明けのうつつな頭の中で、これまでの出来事全てが夢であったのではないかと考えてみたりしたが、次第に明仄(ほのあ)かるく明けてゆく窓の外から聞こえる鳥の声や、旅行者がスーツケースをゴロゴロ引き摺って歩く音により、現実に引き戻された。

内容証明郵便が届いた。

懲戒解雇通知は、以前、大阪拘置所の住所に送られてきた。

どうしても送りたければ、実家にでも送ればいいものを、わざわざ、病院の事務から[大阪拘置所宛て]の住所で、送り付けられた。絶望の極みにある無力な一職員に、縁戚の青年に、あえてそうした残酷な仕打ちをする必要が、どこにあったのだろうかと、今も思う。

そして、この日に届いたのは、[離職届]であった。

内容を見ると、[重責解雇]とされている。[別紙の通り]ともある。

[別紙]には、何が書かれているのだろうか。

また、本人記載欄には、[本人と連絡取れず]とされている。

提出の受領印は、10月12日。

僕が10月9日以降、上杉病院グループ会長宅の町内の自宅に戻っていることは、関係者は皆知っていた。連絡を取りたければ、いつでも取れた。

にも関わらず、あえて、[本人記載欄]に本人が記述する権利も、本人が内容を確認する機会も、与えられなかった。

労働基準局も、何故、その点を確認しなかったのだろうか。

それにしても、酷い。

オカンは、すぐに、親しい縁戚の女性を通して抗議をしたようだが、まるでシロナガスクジラに突進するミジンコの様で、何一つ動かすことはできなかった。

 

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