第二部
十二
もっとも、庄屋そのものが、農民を指導監督する立場上どうしても金銭に関する相談事に乗らなければならないことが多く、時には、小銭を用立てたり保証人にならざるを得ないことも少なくなかったと思われる。
とは言え、これまでならすぐに忠告してくれる義兄の度助がいたが、すでに実家に帰ってしまっていまはただ一人である。ついつい仏心が頭をもたげてくる。そんな時注意するのは妻の春ぐらいである。
ただ、純之助の家には、先代の佐治衛門が庄屋の責任者として手広くやっていた時に残してくれた資産が蓄えられている。先代は小規模ながら貸金業をやっていていくらかの資産を残してくれていた。純之助の気前よい所もそんなことも関係していたかもしれない。
そんな中で都合悪いことに、明治になって地租改正が行われ、農民も税金を年貢米ではなく現金で納めなければならなくなった。それだけみんなお金をすぐに用立てる必要がある。純之助の所にいけば、割と気前よくお金を貸してくれる。そんな噂が立てば、当然多くの人が借金にやってくる。恐らく、こんなことが起きていたのではないかと考えられる。