とは言え、純之助は庄屋という村役人側の人間である。常には、農民を指導監督する立場だから不用意に騙されることも起こりにくい。それに経験を積めば、それなりの対処法も会得できていたであろう。そんなことで、気前のいい純之助も大きな金銭トラブルを抱えることなく過ごしていた。
ところが、当時とて、まとまった額の借金をする場合には、大抵、連帯保証人が必要だった。つまり、借金の証文を書く際に保証人になった人が判をつくわけで、これを「請け判」と言い、借金が返せなかった時には、保証人が肩代わりをするはめになる。昔から、「請け判はするな、金を貸すなら、やれ」と戒められたほどリスクの高いものだった。
こんな時、借金返済が何とかできていれば問題ないが、天候次第で収穫が不安定な農民相手ではやはり高リスクである。特に、梅雨の長雨時に高梁川が氾濫することが時々あり、純之助のいた市場村にまで水害が及ぶと、米の収穫はとたんに激減する。それは即収入がなくなることであり、多くの農民が借金しなければならなくなり、純之助の所に請け判をついてほしいと幾人も請願にくる。
恐らく、大抵の人はやがて返済していただろうが、借金が払えずいつの間にか夜逃げしていなくなったりする農家がいて、そんな負債が少しずつ溜まっていったようであった。