【前回の記事を読む】嬉々としてデイサービスに通う認知症の母。嫌がっていたのに何故?…働くのが好きな母のために、妻が用意した仕掛けがすごい!
第一部 認知症になった母の人生
第4章 いよいよ同居が始まった
あんなに嫌がっていたデイサービス。嬉々として通い、ショートでは大脱走を試みる。ガッツあるな?
話を変えましょう。面白かったのは、ショートステイでの出来事でした。初めてショートステイ1を使ったとき、翌日のお送りのスタッフから
「昨晩、巡視していましたら、お母様が、窓のクレセントをはずそうと必死でした。当然、開けることはできなかったのですが、なんとか外に出たいと言う思いのようでした」
名付けて「ばあばあ大脱走計画未遂事件」。
デイサービスには親和性があったようですが、ショートステイはやはりハードルが高いのでしょう。でもそういう「自分にはなんかフィットしない現実」を変えたいと思うそのエネルギーは母らしいと思いました。しかし、何度か使わせていただくうちに慣れるものです。「住めば都」とはよく言ったものです。
人は事実を生きるのでなく「自らが意味づけた世界」を生きる
ここでは母があれほど嫌がっていたデイサービスを受け入れた背景について触れてきました。
実はこの「人間は事実を生きるのではなく、自らが意味づけした世界を生きる」という考えかたに基づいた社会構成主義とかナラティブについて少し触れておきましょう。詳細は紹介する文献などに触れていただければと思います。