あるお爺さんの1日 〜猫と共に〜
お爺さんは、夫婦で介護施設に入るためのお金がどれくらい掛かるか、手持ちのお金を計算したことは何度かあります。しかし、猫の介護施設については初耳でした。死ぬ時にチューブにつながれないのは良いことだと思いました。
お爺さんは猫の話を聞いていて、思い当たることがありました。自分も死を恐れなくなってきている。いつ訪れるか分らない死を恐れていてはいけない。それまでの生きている時間を悔いのないものにしたい。そんな気持ちが強くなっている。
猫は存在するだけで、家庭内が温かくなり穏やかになっていたにちがいない。猫の余命はあとわずかだが、生きているだけで価値がある。
猫は疲れた様子です。お爺さんは、「また来る」と、別れの言葉を掛けました。猫は目の前で手を振り、もう2度と会えないと身振りで伝えました。ただ、「もう1度塀に上りたい」と、猫がつぶやく声がお爺さんに聞こえました。
あるお爺さんの1日 〜花の下にて〜
お爺さんはバスを降りて歩き始めました。胸を張り、腰を伸ばし、足を高く上げ、目は真っ直ぐ前を向き歩いています。右手には紙の袋を提げています。いつもより速く横断歩道を渡り終えました。
電線にはいつもの5羽のカラスが並んで止まり、カアカアと世間話をしていました。木の枝から巣ごと転落して死んだカラスがいるとか、羽根が折れて飛べなくなり、獲物を捕まえられず、餓死したカラスがいるとか、カラスの世界も高齢化が進んでいることが問題になっています。
どこかのごみの集積場は、住民のごみの出し方がいい加減なので餌を手に入れやすいといった情報交換も行われています。
カラス達はお爺さんの姿を見てびっくりして、世間話をやめました。何か良いことがあったに違いないと感じました。カラス達は、お爺さんの前途を祝いカーカーカーと声をそろえて鳴きました。そろそろ、巣に帰らなければなりません。巣には子ガラスがお腹をすかせて待っています。
お爺さんは帰宅の道を歩み、塀のあるところに来ました。無意識に塀の上を探しましたが猫の姿はありませんでした。塀から飛び降りる時、足を骨折したのかもしれない、頭を打ったのかもしれない。年を取るとろくなことはない。お爺さんは猫のことが心配でした。
猫は春の陽射しが暖かく差す縁側でまどろんでいました。若かった頃のことが思い出されてきました。隣の家の憧れの桃子さんと庭でかけっこをしたこと、木登りをしたこと。猫より桃子さんの方がはるかに上手でした。