私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。
1日目 新信長論 利家と信長
『国盗り物語』(司馬遼太郎)、『織田信長』(山岡荘八)によって植え付けられたイメージはなかなか払拭できませんが、本章(1日目)はこうした織田信長像からかなりかけ離れています。小説ではなく、一種の論考のような内容を持っている本作品の導入部としては、読者の興味を引きつける内容です。
信長の経済論
(1)大判・小判
私:さてここからは信長の「経済論」を語ろう。次の三つの謎を語ることで、信長の経済論の骨格を浮かび上がらせる。一つ目は天下人信長の大判・小判がない謎。二つ目は織田の旗印が「永楽通宝」の謎。三つ目が永楽通宝の流通範囲の謎。
N:大判、小判といえば、秀吉の天正大判・小判が有名ですし、家康の慶長大判・小判が有名ですね。
私:家康の慶長の大判・小判は豊臣家の金(キン)300トンを奪いつくられる。家康は秀吉よりも偉いことを誇示するために金の純度を高くする。そして江戸の町のインフラ整備に一挙に使う。江戸は空から大判・小判が降ってきて、空前の好景気だ。そしてそれは家光の東照宮の原資でもある。
N:秀吉にはこの手の話はありますか?
私:聚楽第での長男鶴松の誕生を祝う「金配り」がある。200メートルに金銀36万両を並べた。
N:信長にはこの手の話は?
私:ないな。信長も秀吉もお金の「いろは」は、お金=信用だから、金貨を流通させるわけはない。秀吉の金貨は褒美専用で、信長のそれはなんと茶器だったのだから。信長の茶器については後ほどくわしく述べよう。