「そうですね。これです」
草介は実知と和徳に、知数の口の中を覗かせた。二人には何の問題もない整った歯並びに見えた。
「上顎を見ると、右の犬歯と小臼歯がかなり内側に入り込んでいる。下顎の右の犬歯と小臼歯はこれに押されて舌側に倒れ込んでいるのです。下顎が大きく左方向に押されていて、下顎が左回転して偏位しているのです。
おまけに左の咬み合わせが低くなっていて、余計に下顎は左に滑って回転しやすい。下顎が左に回転すると下顎角、つまりエラは右に突き出ます。
五キログラム以上もある頭部の重心が下顎角が突き出た方向にずれる。長い、可動性の高い脊柱の頂上に乗っている五キログラム以上ある球体の重心が右にずれるのです。
脊柱は弯曲して、体が倒れないように重心調整をして防御姿勢を取る。この弯曲が脊柱側弯で、この歪みが苦しい症状の原因だと私は見ています」
そうして知数の下顎をかなりの力で右方向に押して咬ませ、「ここが重心の正中なのです」
それは信じ難いほど、下顎を右に移動させた位置だった。それから自律神経の測定、頭部X線写真撮影。顔や姿勢の写真撮影が行われ、和徳も勧められて知数の顔と姿勢の写真をスマホに収めた。
歯型の採得(さいとく)をしたあと、仕上がってきた自律神経のデータをグラフで見せられ、二人は納得した。
昼間の時間は、交感神経の働きが六十で、副交感神経の働きが四十というのが標準だと説明されたが、知数のデータは交感神経が七・四、副交感神経が九十二・六というバランスで、重いウツ状態だという。
やる気が出ないのはもちろん、普通に起きていることも難しいと草介は説明する。交感神経は頑張る方向に働く神経、副交感神経は眠る方向に働く神経だそうだ。これでは起きていられるはずがない。
「咬み合わせのズレが起立性調節障害を始めとするこの症候群の原因となっているか否か、試験を行えばすぐにわかります」
草介は知数を立たせ、ここが正中だと先ほど説明した位置に下顎を誘導し、「ここです。動かさないで」そう注意して、上下の歯の間にシリコンを注入した。シリコンは二分もすれば硬化する。インスタントのマウスピースが出来上がるのだ。
シリコンを咬んでいる知数の目が開いてパチパチと瞬きをする。それからしきりと首を動かし、肩を上下させ、「えっ」と声を出した。見る見る顔が紅潮してくるのが両親にも見てとれる。
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次回更新は2月5日(水)、21時の予定です。
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