「私の何かが悪かったのだ」明るいリビングの椅子でそれを思い起こすと、ささやかな平和などはあっけなく消え去るものだったことを思い知らされる。
現実に返れば、二階の部屋に閉じこもったまま知数は起きてきていない。困難は何一つ改善すらしていないのだ。最近は夫の和徳(かずのり)も飲んで遅く帰ることが多くなった。
玄関にバッグを放り投げて寝込んでしまったりする。人相も険しく、暗くなった。運動も勉強もよくできる息子が自慢で、それが張り合いになって笑顔で働いていた夫は人が変わってしまったのだ。
私も、ここでもう少し頑張らなければいけないのだろう……実知はそう考え、腕を組んだ。人を突き放す言い方ながら、声の芯まで冷たいわけではなく、かえって人に対する厳しい期待が込められているような不思議な、草介の声を実知は思い起こした。
「あの声には揺らぎのない自信がにじんでいる」
それに、媚びることを知らない鋭い目は、何かを見透かしているかのように見えた。草介の言葉や声のトーンや目などを思い起こしながら意を決してやってみようという気持ちになりつつあった。
突き放すような言葉や目に、今までの医師や支援者たちのような優しさはないが、表面的な修飾もなく、突き放す分だけ自分で考え、自分で決めることを要求する真剣な語りかけが確かにある。
自分でやらない者に結果はないことをあの先生は言っていたのだ、と実知は思った。それにしても、と実知は悩む。
知数にどう取りついたら良いかもわからないのだ。話しかけても返事をすることなど絶対になく、暗い部屋で布団にもぐっているだけなのだ。もちろん一緒に食事をする機会はない。
オニギリや漬物などをベッドサイドのテーブルに載せておいて、食べてくれるのを待つしかないのだ。昼間には食べる様子は見られず、夜のうちに食べてある。いつ、どのように話してよいのか堂々巡りのように、同じことばかり考えてしまう。
けれど、それでも自分でやるしかない。このままではどうしようもないのだという腹は少しずつ据わってきている。
その晩も夫は深酒をして帰ってきた。実知は相談したかったが、それができる状態ではなかった。
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次回更新は1月28日(火)、21時の予定です。
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