堀川局(ほりかわのつぼね)は、気さくに笑いかけた。
「あ、それなら、あの透垣(すいがい)(垣根)から庭に出て直(じき)に女院(にょういん)様に差し上げてくださいませんか? ちょうどいいです。今様(いまよう)の名人乙前(おとまえ)が来ていて、皆に歌を聞かせてくれているのですよ」
義清が透垣(すいがい)を回って庭に出ると、この世の物とも思えない美しい世界が広がっていた。
桜の木々が満開の花盛りであった。庭石は柔らかく苔(こけ)むし、そこここに黄や薄紫の春の草花が群れ咲いている。
義清(のりきよ)は大籠(おおかご)を捧(ささ)げ持ち渡殿(わたどの)(渡り廊下)に沿(そ)って歩き、やっとのことで正面の高欄(こうらん)(欄干)にたどり着いた。
正面の美しい縁飾(ふちかざ)りのついた御簾(みす)に向かって、義清は参上の挨拶を申し上げた。
「佐藤義清(さとうのりきよ)、年はいくつですか」
「十六でございます」
「まあ、そうですか、主上(しゅしょう)より一つ年上なのですね」
温かい声がなつかしげに御簾(みす)から聞こえてきた。
崇徳(すとく)天皇は御年十五歳である。しかし帝(みかど)の位にあるので母子といえども、たやすくは会えない。待賢門院(たいけんもんいん)璋子(たまこ)は御簾(みす)越(ご)しに義清をじっと見つめていた。
そのとき璋子は、義清の痛々しいほど緊張している生真面目(きまじめ)な姿や幼さの残る頬(ほお)を見て、なかなか会えない帝(みかど)を思い出していたのかもしれない。
手慣れた女房の手によって芹(せり)や蕗(ふき)は台盤所(だいばんどころ)(台所)に下げられ、唐菓子(とうがし)は折敷(おしき)(四角い盆)にたっぷりと盛(も)られて皇子達の前に差し出された。
「あ、唐菓子(とうがし)!」
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