第一章 月の面影
佐藤家では、義清(のりきよ)を主家の閑院流(かんいんりゅう)藤原氏である徳大寺家(とくだいじけ)の家人(けにん)として仕えさせて、朝廷に仕官するのに必要な礼儀作法や教養を身につけさせようとしたのである。
まだ徳大寺家(とくだいじけ)に仕え始めたばかりのある日、義清(のりきよ)は左大臣徳大寺(とくだいじ)実能(さねよし)に呼ばれた。
「義清(のりきよ)、これを待賢門院(たいけんもんいん)に届けてくれ」
徳大寺家の当主徳大寺(とくだいじ)実能(さねよし)は、待賢門院(たいけんもんいん)璋子(たまこ)の実兄である。
実能(さねよし)が義清に手渡したのは、芹(せり)や蕗(ふき)など春の恵みを山盛りにした大籠(おおかご)だった。みずみずしい緑の傍(かたわ)らには、紙に包まれた薄紅色の花形の唐菓子(とうがし)がぎっしりと詰められている。
待賢門院(たいけんもんいん)の門をくぐると、焚(た)きしめた香(こう)の馥郁(ふくいく)とした香りとともに、美しい歌声と女達の笑いさざめく声が聞こえてきた。
義清がぎこちない仕草(しぐさ)で大籠(おおかご)を捧(ささ)げ持っていると、取り次ぎに来た年配の女房が親しげに声をかけた。
「あら、義清殿(のりきよどの)ではありませんか」堀川局(ほりかわのつぼね)である。
堀川局(ほりかわのつぼね)の父は源顕仲(みなもとのあきなか)という有名な歌人で、義清は歌を教わっていた。義清は暇を見つけては源顕仲(みなもとのあきなか)邸を訪れ歌会の控えや歌集を書き写させてもらっていたので、里帰りした堀川局(ほりかわのつぼね)とも顔を合わせたことがある。
初めての役目に緊張していた義清は、堀川局(ほりかわのつぼね)の顔を見てほっと気が緩(ゆる)んだ。
「徳大寺(とくだいじ)実能(さねよし)殿(どの)のお使いとして参上いたしました。徳大寺(とくだいじ)殿(どの)より女院(にょういん)様への贈り物にございます。どうかこれを女院(にょういん)様に差し上げてください」