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父の遺影を前に、母は幾つかの父との思い出を語ってくれた。それらは、僕が初めて知る内容であった。父は無口ではなかったが、自らが進んで喋る方でもなかった。ただ人の話を聞きながら、品の良い笑顔を絶やさない人であった。

父は故郷の長野県の工業専門学校を卒業すると県庁に勤める。しかし勤めていた県庁を一年足らずで退職するとその後、生まれ育った信州を離れている。

母と知り合った頃は加藤工業という中堅ゼネコンの社員であった。青井建設との企業JVの現場監督の補佐として、紀伊半島の鉄道の隧道(ずいどう)(トンネル)掘削工事に来ていた。

当時、地元で工事関係者の食事の世話をしていた牟婁地区にある旅館の主人から、母の両親に見合い話が持ち込まれる。その旅館主人の紹介で、父と母は見合いをして結婚したのである。

母はというと、父と結婚する以前は名古屋の大須観音近くにある料亭で、仲居として働いていた。「夕月」という店で、有名な会社の社長や政治家なども訪れていたらしい。

「『夕月』で働く前は、八百屋に住込みで働いていてたんや。だけど、給料が安くてね。それで『夕月』で働くことにしたんよ。八百屋の倍ぐらい給料が貰えたからね」

母の話によると、その料亭で働いていた時に、母親(僕にとっては祖母)から電報が届いた。文面には「スグ・カエレ」としか書いていない。それに驚いて、取る物も取り敢えず実家に戻ると、「見合い」だという。

「えっ!? 結婚する気はない!って言うと、『兎に角、会うだけ会え! 紹介者の手前、断れん!』そう言われて仕方なく会ったわけ」

見合いを済ませた母は、一旦名古屋に戻った。すると今度は一週間後に結婚式だとの連絡が来たのである。

「届いた電報には、もし私が帰らなんだら、『ハハワ、シンデモ・シニキレン』とまで書いてあったんやで」

その母の言葉に思わず吹き出しそうになりながら、

「あの祖母ちゃんらしいな。殆どイジメやな」

亡くなった祖母の野良着姿の白黒写真が、何と気の強そうだったことか。

(猪でも捕まえそうや!)子ども心にそう思った祖母の顔が浮かび、苦笑せずにはいられなかった。

「親の勧めでお見合いをして、一週間後には結婚することになるなんて。今じゃ考えられんわね」

母は話を続けた。

「あんたが浪人中に一度、ダムに遊びに来たやろ。あの時、お父さんと私と佑の三人で彦根城を見に行って、それから昼ご飯食べたこと覚えとる?」

「よう覚えとるよ。お母ちゃんが生ビールの大ジョッキを二杯も飲んだ時や」僕の返事に、

「駅前の中華料理屋やったなぁ」

「あの頃が一番よかったなァ」

母は懐かしそうに眼を潤ませ、嬉しそうに呟いた。

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