草介はこの事態に強い危機感を持っている。この異変に対して、理解して寄り添ってあげるべきだ、不登校だっていいじゃないか、多様性を認めてあげるべきだ、などという一見優しそうで、実は子供をダメにする甘い意見の人が多いのはもっと心配だ。
根本的な原因を究明して、問題を解消してやろうという考え方が全く見られない。
「日本は救い難い」という悲観的な確信さえ、草介の内には育ってきている。新聞の論調には、このように不登校児童が急増していることに、少しの驚きは感じられるが、なぜこのようなことが起きているのかについての問題意識は一切ない。
なぜ疑問を持って原因を考えようとしないのだろうか。草介にはその感受性の鈍さが信じられないが、政治家や民衆はもちろん、専門家であるはずの医師や歯科医師、教師や研究者などの全てに共通して、この現象についての根本原因に関する考察は全く見られない。
日本人全体の物の見方が表面的で通俗的になってしまっていて、どうしようもないというのが草介の実感になっている。
窓が閉められる音がして、BGMの音が低くなったのは、朝の準備が終わった知らせだ。忙しい一日が始まるのだ。草介の気持ちが引き締まって自然に臨戦態勢になっていく。
ドアがノックされ、少し開けたドアの隙間からベテランの歯科衛生士が顔を覗かせた。
「おはようございます」
丸い顔に似た円いフレームのメガネの中に、細い目が垂れていて、笑顔が明るく温かい。
忙しく、きつい仕事の時も、この伊波歯科衛生士と組むと不思議と気持ちが楽で救われた思いがする。
「あのう、最初の川瀬さんという患者さんですが、ご本人ではなくお母様がご相談したいことがあると言ってお見えになっています。息子さんの知数君という十三才の中学一年生が本当の患者さんで、今日はお母様だけなのですが、どうしたらよいでしょうか。起きてこなくて学校へも行けず、ここにも連れてくることが難しいといいます」
伊波は少しだけ対応に困っているようだが、その明るさに草介も気持ちに余裕をもって考えられる。
「そうか、本人のいない初診は本当は困るけどね、ま、ここへお通しして。そういう相談はここの方がいいだろうね」
ニコリと笑って伊波はドアを閉めた。
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