九時半に診療が始まるみつる歯科医院の朝は掃除と準備で皆が忙しく動き回り、バタバタしている。高崎駅の東に広がる住宅地に位置するみつる歯科から望む赤城山の長くゆったりした裾野は、いつ見ても美しい。

十月も終盤で、紅葉も始まり秋空が高い。透き通った陽が開け放たれた窓から射し、柔らかな風も気持ち良い。器具を洗う金属音と掃除機の唸りが煩(うるさ)いが、それを上回る音量でBGMが流され、若いスタッフが好むリズミカルな曲がかけられている。

三鶴草介(みつるそうすけ)の神経には合わないが、まだ診療前の時間だし、最近の若い人の好みはこういうものだと観念している。文句を言いたい気持ちも最近は起こらない。ただちょっと気にかかる光景が目に入っていた。

まだ診療開始の三十分も前なのに、待合室の椅子の、それも隅っこに、背を丸めた女性が小さくなって座っている。困り切っていることがその姿からわかる。この大音量のリズムが神経に障るのに耐えているに違いないが、それを気遣う配慮など、今の若いスタッフにあるはずはない。

昔の草介なら、「少しは配慮というものを持ちなさい」などと叱ったものだが、その頃はまだエネルギーが余っていたのだ。何でも上出来でないと気が済まない完璧主義な精神があって、厳しい指導が日常だった。

その主義は治療にもそのまま生きていて、全く妥協を良しとしない、緊張を極めた仕事をしていた。仕事については今も変わらないが、スタッフの配慮や動きに口を出すことはほとんどなくなった。

時代の流れというか、最近の日本人の流れには圧倒される力があって、草介はそれに負けたのだ。諦めの気分が強くなっている。ただ自分だけは偏屈に、仕事の流儀を守っている。

受付カウンターの予約表を見ると今日の最初、九時半に「川瀬知数(かわせともかず)、十三才」の記載がある。

「変だな」

待っているのは中年と思われる年恰好の女性で、予約表の名前は男子と思われる。十三才はまだ中学生だ。背を丸め、困り果てた姿は気にかかったが、草介は技工室に顔を出し、今日仕上がり予定の技工物のチェックをした。

それから院長室に寄って、朝、サッと読んだ新聞記事を読み直した。

「不登校小中学生最多二十四万人超え」

不登校と判別された小中学生は二十四万四百九十四人で、その原因の第一が無気力と不安で、四十九・七%を占めるという。昨年の文科省発表では十九万三千人だった。

毎年確実に増加しているし、増加速度は速まっている。ニート、つまり若年不就労者の数も同じペースで増加していて、草介はずっと気にかけていた。

もう「心配だ」などと言っている場合ではない。