「良く『正義の戦い』といって戦争を正当化する、どこかのお偉いさんがいるわよね。私、腹が立ってしょうがないの。だって、戦争って殺し合いでしょう。戦争があったから、私の母があのような空襲に遭って殺されたのよ。

今でも世界各地で殺し合いをやっているでしょう。人権が守られていない、価値観が違うとか、民族や宗教の違いだとか、食料や資源の奪い合いだとか、いろんな理屈や主張を展開して争っているわよね。

これって知識、知見や智慧のある人たちのやること? 善人のつもりで信念や信条、自分なりの流儀をかざし、自らの正当性を主張しているだけじゃない。そのなれの果てが戦争。

犠牲になるのは、決まって私たち庶民や戦争に駆り出された若者たちじゃない。『人間は過ちを繰り返す生き物』と言った学者がいたけれど、歴史がそのことを証明していると私は言いたい。

だから誰が何と言おうと、このような愚の骨頂たる戦争は、どんな理由があろうとも、やっちゃいけないのよ。だから、空襲の語り部を続けてきたの。続けなくてはいけないと固く心に誓ったのよ」と文子は忿怒(ふんぬ)をあらわにした。

あまりの母の雄弁さに圧倒された瑠璃は、一言も挟む余地がなかった。

「瑠璃、言い過ぎたかも知れないけれど、この世に真理なんて存在しないことをこの歳になって、ようやくわかりかけてきた。見えていたもの、嗅いでいたもの、触っていたもの、聞いていたもの、味わっていたもの、意識して行動していたこと。

それら全てを自分を真ん中におき、都合のいいように解釈し、満足するように仕向けている自分に最近気づいてきて、他人から見たら全く違うんだなあと思うことがたびたびあるの。

最近の私は、阿弥陀様の救いに気づかされ、お任せしようといった心をもとうと努力している。だけど、これって物凄く難しいことだと感じることがままあって、多分臨終を迎えるまで消えやしないわね。

一言でいうと〝恕(おもい)やり〟という漢字の意味に、凝縮されるかも知れないと考えるようになってきた。この恕やりが欠如したとき、自己中心にハマった為政者が善人面した顔のもと、人として最も愚かでやってはいけない戦争に走る。

戦車、戦闘機、爆撃機、空母、ミサイル、加えて禁止されている化学兵器や核爆弾という恐ろしい兵器をちらつかせ相手方を脅し、無差別攻撃で殺し、屈服させ、勝ち名乗りをあげる。

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