鬼島は川田の背中を越え、氷壁にへばりつきながらさらに下降していった。その動きに合わせてロープを送り出した。数手も繰り出すと、鬼島の姿が風雪で霞み始め、そのうちにロープが伸びなくなった。

鬼島の叫び声が風雪にかき消されながらも聞こえてくるので、吹雪に目を凝らすと、鬼島が谷に向かって何やら叫んでいた。岩を掴み踏ん張りながら、声は大方かき消されるが、鬼島は何度も叫んだ。そのうちに鬼島は振り返り、大きく腕を振った。叫んでいる声は吹雪ではっきりとは聞こえないが「来い」と腕を掻いていた。

川田は壁を這って鬼島のあとを追った。風雪の叩きつける壁の中にわずかなホールドを見つけ指をかけ、氷壁にへばりつきながら岩棚を下降し、鬼島のもとに下りると、鬼島はダケカンバの立木にスリングを巻きつけて支点とし、そのスリングにセルフビレイをとってロープを捌いていた。川田もそのスリングにセルフビレイを取った。

「降りるんですか?」

「生きているよ」

断崖は下方数メートル先で切れ落ち、白い濃霧に消えていた。

「どこに?」「聞こえた」

川田は耳を澄ますが、吹き荒(すさ)む風雪しか聞こえなかった。しかし、ダケカンバに掴まりながら断崖に怒声を放つと、びょうびょうと吹き荒む風雪の合間から微かな人声が返ってきた。

「本当だ」と川田が言った。

    

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次回更新は1月11日(土)、8時の予定です。

     

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